坂東三十三観音霊場巡りの旅 岩殿寺

岩殿寺

寺伝

徳道上人がこの地で熊野権現の化身である老翁に会い、ここが霊山であることを知りました。数年後、僧行基がこの地を訪れて、同じような体験をしたので十一面観音像を安置したのが始まりです。

巡礼記

訪問日:平成18年10月21日

京急新逗子駅北口から「ハイランド行」のバスに乗り、バス停「久木三丁目」で下車しました。バス代は170円でした。バスを下車すると、道路の反対側にある「逗子行」のパス停のすぐそばに岩殿寺と書かれた木札があったので、バス停横の道を歩きました。途中に何度か岩殿寺の方向を示す看板があるので、迷うことは無いと思います。

しばらく歩くと岩殿観音と書かれた石柱がありました。その石柱と総門の間には、坂東三十三観音霊場の各札所のご詠歌が書かれた石碑がありました。総門に拝観料100円を入れる賽銭箱があり、拝観料を入れ境内に入りました。

観音堂への階段の途中には、写経塔があり幸福観音像が祀られていました。そして階段を上り、観音堂でお参りをしました。また観音堂の裏には奥の院の観音様が祀られているので、そこに行き、手を合わせました。観音堂の左側に西国三十三観音霊場の各札所のご詠歌が書かれた石碑がありました。

そして熊野権現社でお参りをし、これで帰ろうと思い階段を下りようとすると、ある方が「山頂にまだ見る所がありますよ」と声をかけてくれました。確かに熊野権現社の横に上に行く道があったのですが、私は「上に登って何も無かったら嫌だから、登るのはやめよう」と思い、引き返してきたのでした。

熊野権現社の横にある道を登ると、正教観音吉祥塔がありました。そしてその前に秩父三十四観音霊場の各札所のご詠歌が書かれた石碑がありました。正教観音吉祥塔の由来を読むと、
かっては、ここより北にかけて鎌倉につながる巡礼の道があったそうです。そして源頼朝は観音様の縁日である十八日には、その道を通って岩殿寺に来ていたそうです。しかしその道も開発によって消えてしまいました。巡礼の道には多くの石仏があり、それらの供養の為、また巡礼の道があったことを忘れないようにと正教観音塔が建てられたそうです。
たしかに塔の後ろを見ても、かって源頼朝が通ったという巡礼の道は跡形もありません。開発により生活は便利になっていますが、同時に失っているものも多いことに気付かされます。

また本堂左に下る道の近くに聖徳太子像が祀られていました。道を下り、本堂前に戻ると声をかけてくれた方がまだいらっしゃったので、感謝の言葉を伝えました。

岩殿観音の石碑

岩殿観音の石碑

総門

総門

幸福観音像を祀る写経塔

幸福観音像を祀る写経塔

本堂その1

本堂その1

本堂その2

本堂その2

奥の院

奥の院

正教観音吉祥塔

正教観音吉祥塔

聖徳太子像

聖徳太子像